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東大生や東大出身者が、「いい先生」になれない理由

東大生が家庭教師をやると、「その時給は普通の大学生よりかなり高くなる」という記事がありました。
関西では京大生の時給が高くなるのでしょう。

中学受験でも高校受験でも大学受験でも、東大(京大)神話は、根強いものがあるようです。
単純に「偏差値」を比べると、東大や京大より「偏差値」の高い国公立医学部はいくつもあるのですが、東大や京大のブランド力は非常に強いようです。

その記事には実際に家庭教師をやっている東大生の困惑する話も出ていました。
東大生が教える際に難しいと感じるのは「難問」ではなく「解けて当り前の問題」のようです。

「自分では無意識に手が動くところで説明を求められると、言語化して説明することは案外難しい」ようです。
東大生なら特に考えなくても勝手に手が動くようなところを、改めて説明するのは難しいのでしょう。

東大生が先生として相応しい生徒は、かなりの学力レベルの生徒なのかもしれません。
東大出身の先生は塾にも予備校にもたくさんいます。
こういった先生が「いい先生」かと言うと、いい先生も少なくありませんが「生徒によっては」という先生も少なくありません。

高学歴の先生が本音で話してくれることがありますが、その時にこんな話を聞くことがありました。
「どうして分からないのか、分からない」
自分には簡単すぎて当り前のことが、上手く理解できない生徒がいると困ってしまう先生も中にはいるようです。

学力が高い生徒には、「いい先生」であっても、全ての受験生にとって「いい先生」なのかは、「間違いなくそうだ」とは言いにくいところがあります。
以前、「自分は数学が苦手だった。だからあえて数学を教えることにした。数学が苦手だったからこそ、数学が苦手な生徒の気持ちが分かる。自分は、どんな問題でも一瞬で解けるわけではないけれど、生徒に寄り添うことは出来る」と話してくれた先生がいました。

東大卒の先生より、こういった先生の方が向いている受験生もいると思います。